第4次世界大戦は、石とこん棒で行われる。

すべての闘う人たちへ。

誇り高きウクライナ市民に捧ぐ。

海にへばりついた小さな町で 私は生まれ育った。活発で元気な子どもだったように思う。

当時の記憶を慎重にたどりながら、私が小学生のときの奇妙な体験を文章にしてみようと思う。

小学5年生のとき、クラスに転校生がやってきた。

4月から新学期がスタートし、クラスメイトとも仲良くなり 慣れてきた6月に 私のクラスに転校生がやってきた。

この物語は1987年6月に始まり同年9月に突然終わる。

転校生は名前を宇野克也といった。

明るく聡明で、すぐにクラスの中心的存在になった。

家が近いということもあり、ぼくたちはすぐに仲良くなった。

ぼくは彼を うーちゃん と呼び、

彼はぼくを たっちん と呼んだ。

ある日、忘れもしない プール開きのあった6月中旬のある日の放課後。 ぼくたちは一緒に下校していた。

「うーちゃんはいいよなー、泳げて。おれ、泳げないから プールがきらいなんだよ。」

泳げない人間にとって、プールの授業は あまり楽しくはない。はっきり言って 苦痛だ。

「大丈夫だよ、夏休みに特訓しようよ。」と、うーちゃんは言ってくれた。

僕の通っていた小学校では、プール開きの日に水泳のテスト すなわち測定会が実施され、夏休みをはさんで9月にもう一度測定会が実施されるのです。

6月 プール開き&一度目の測定会。

飛び込みは禁止、泳ぎ方は何でもよい。 25m以上泳げる生徒も25mで終了 すなわちターンはしない。

5年生。 半分くらいの生徒は25mを泳げたでしょうか。。

うーちゃんはきれいなクロールときれいな息継ぎで記録は25m。  すごい。うらやましい。。

担任の先生がひとりで測定するので、名前の順で一度に2人ずつの測定です。  僕はどきどきしながら順番を待っていました。

高鳴る鼓動。 高学年になると、もう、はっきりと生徒ひとりひとりの特性が出てきます。 頭の良い子、スポーツのできる子。

私はどこにも属していない 普通の一般生徒。

ついに、私の番になりました。

となりは女の子です。

負けられない。

「位置について」

で、ザブーンとプールに入り。

「用意」

でアゴを引いて両耳の後ろに腕をつけて 頭上高くで手のひらを重ねて天高くピーンと伸ばし 

片足を曲げてプールの壁につけて 笛の合図を待ちます。

「ピーッ!」

合図とともに 僕はギュッと目をつぶり プールの壁を思い切りけって 勢いよくスタート!

バシャバシャバシャ!

体を激しく揺さぶりながら、必死のバタ足!

高らかな水しぶき!

耳の後ろにピタッとつけた腕は いっさい動かさない! アゴを引いて、必死のバタ足!

激しい揺れと激しい水しぶき!

息継ぎなんて できるわけないから!

い、息が く、苦しい。。

7m付近で、、ついに力尽き。。

「プファァーーー!」

着地!

ハアハア息をきらしながら、

ちょんちょんちょんちょん と こっそり歩く。

隣の女の子は25m 泳ぎきったみたい。

先生が、僕の記録を大声で伝える。

「前山くん  バタ足8m。」

本当は7m。

「たっちん、足ついてからちょっと歩いたやろー」

と、何人かに言われました。

「水しぶき すごかったなー。 水しぶきの美しさを競う競技があったら、たっちんが一番やで!」

と、何人かに言われました。

小学5年生 6月の水泳の記録 バタ足8m。

これが、僕の奇妙な体験のスタートです。