(全文転記させていただいております)
8月6日 原爆が広島に投下され、
9日には長崎に原爆投下。
さらに9日未明、ソ連軍が満州国境へ侵攻します。
これを聞いた阿南陸相は『くるものがついに来た』と静かに言ったといいます。
8月10日、天皇陛下御臨席のもと緊急御前会議が開かれます。
ポツダム宣言受諾に関しての決議をするためでした。
東郷外相が『受諾すべきだ』と答え、
それに追従するように米内政光海軍大臣と平沼騏一郎枢密院議長が賛同します。
これに対して陸軍大臣の阿南陸相は本土決戦を主張。
これに梅津参謀総長と豊田軍令部長が賛同した結果、
票決は三対三の同票となりました。
このとき、鈴木総理は陛下の前に進み出て、
『異例なことではございますが、陛下のご意向を賜りたく存じます』
これに対して陛下はこのように答えます。
『自分の考えは先ほどの東郷外務大臣の意見と同様に、この戦争を無条件に終結することに賛成である。』
部屋はたちまちのうちに号泣する声に満ちました。
陛下御自身お泣き遊ばされていることを拝しました参列者一同、身も世もあらぬ気持ちでその場でひれ伏し、泣くだけでした。
陛下は
『念のために理由を言っておく
本土決戦を主張する陸海軍の立場もわからぬではない。
さりながら、これまで陸海軍が申したことと、その結果には大きな隔たりがある。
本土決戦によって多数の国民が死に直面することは、もはや忍びない。
自分の務めは先祖から受け継いできた日本という国を子孫に伝えることである。 もし本土で戦争が始まって本土決戦ということになったならば、日本国民はほとんど全部死んでしまうだろう。そうすればこの日本の国を子孫に伝える方法はなくなってしまう。
それゆえ、まことに耐えがたいことであり、忍びがたいことではあるが、この戦争をやめようと思う。
ここにいる皆の者は、その場合 自分がどうなるであろうと心配してくれるであろうが、自分はいかようになっても構わない。
この戦争をやめて国民を一人でも多く救いたいという自分の意見に賛成してほしい。』
こうして天皇陛下のご聖断は下されました。
しかし軍部は本土決戦、一億玉砕、徹底抗戦を掲げた軍人たちが一触即発の状況でした。
8月14日、天皇の御聖断を仰いだ最後の御前会議。
阿南陸相は一貫して徹底抗戦を主張する主戦派で本土決戦を主張し、米内海軍大臣、東郷外務大臣と対立します。
阿南陸相は『一億玉砕を覚悟で 本土決戦をすべきである』として徹底抗戦を主張します。 特に東郷外務大臣との対立は凄まじいものでした。
『8月15日には終戦の詔勅(しょうちょく)が流される』
若手、中堅の将校たちが一戦交えんとクーデター計画を立てて気負っています。阿南陸相は軍部を抑えるのに奔走し、いかにこの国を終戦へと導くか身心をすり減らします。この阿南陸相の身を賭しての終戦工作を知っていたのは鈴木総理一人かもしれません。
しかし青年将校たちはこの敗戦を信じることができません。
先日の8月10日に阿南陸相が述べた訓示は『たとへ草をはみ、土をかじり、野に伏するとも、断じて戦うところ死中自ら活あるを信ず』
そのためにはクーデターも辞さないとする訓示でした。それを今になって放棄せよとは納得ができなかったのです。
阿南陸相の決心変更の理由を阿南本人に将校たちは問いただします。
阿南陸相はこのように答えました。
『陛下はこの阿南に対し、お前の気持ちはよく分かる、苦しかろうが我慢してくれ、と涙を流して仰せられたのだ。自分としてはもはやこれ以上反対を申し上げることはできない。』
阿南陸相は義務に忠実な軍人であり、これ以上陛下の考えに反対することは、阿南陸相にとって承服しがたいことでした。
そして阿南陸相はいいます。
『御聖断は下ったのである。いまはそれに従うばかりである。不服の者は自分の屍をこえてゆけ』
その時 一人の将校が慟哭しました。 将校たちは涙を流し、阿南陸相は将校たちを承服させたのでした。
阿南陸相の覚悟はすでに決まっていました。
その後、阿南陸相は激しく意見が対立した東郷外相の元に足を運びます。
いく度かの会議での発言に関して不快な思いをさせたことを丁寧に腰を折り、『いろいろ本当にお世話になりました』と詫びたのです
東郷外相は一瞬怪訝そうな面持ちで、慌ててこの礼をうけ、『とにかく無事にすべてが終わって 本当に良かったと思います。』とこたえました。
東郷外相は阿南陸相の態度に戸惑いを感じただけで その覚悟をくみ取ることができませんでした。
その後 阿南陸相は総理官邸に立ち寄り鈴木総理に会います。
同様に会議での非礼を詫びた後に、小脇に抱えていた葉巻の箱を取り出して渡し、
『これは南方第一線からの届け物であります。 私は不調法なもので、このようなものは嗜みません。ぜひ総理が召し上がってください。』
さすがに鈴木総理は阿南陸相の覚悟が手に取るように分かったのであろう。
阿南陸相を送って戻ってきた迫水書記長官に向かってこう呟いたという。
『阿南君は、暇乞い(いとまごい)に来たんだね。』
鈴木総理の予言した通り、陛下の終戦の詔勅を聞くこともなく、
8月15日午前5時30分、
阿南は一枚のYシャツを出してこう語りました。
『これはな、自分が侍従武官をしていたころ、陛下から拝領したものでお上が肌につけておられたものだ。これを着用して自分は逝こうと思う。武人としてこの上ない名誉だ。』
阿南は陸軍大臣官邸において、古来の武士道にならって作法通り、切腹して果てました。
全軍の信頼を集めていた阿南の切腹こそ、全軍に最も強い衝撃を与え、ポツダム宣言受諾の意思表示でもあったのです。
これにより全陸軍は戦争継続態勢からポツダム宣言受諾へ急速に移ります。
それまで来ていた戦争継続要請の電報がピタリとやみました。
こうして全陸軍 内外550万人の将兵が一日にして矛を収め、無事に戦後の日本再建に向かう道が開かれたのです。
『軍を失うも、国を失わず』
阿南が14日夜、最後の閣議へ向かうときにつぶやいた言葉でした。。。
まるごとパクリ。
全文パクリ、丸写しです。